去年までちびくろの学生で卒業して各教育方面へ進んだ人を中心にワークショップを都内で行いました。ちびくろで分校や大学での経験や知識を活かしながらも、ゼロからの取り組みでなかなか大変だったようですが、集まった子供達と一緒に新聞紙で光のタワーを作りました。 2001/08/26 写真撮影・関政世(カンタ) |
「夏休みこどもアート教室 とびだせ光のタワー」を終えて 成瀬綾子 大学を卒業し「ちびくろ」からも離れた今、自らの手で子供を対象にした造形教室を開きたいと思い、その第一歩としてこのワークショップを企画しました。新しい場所・新しい環境で一から作っていくのは、いろいろ大変なこともありましたが良い社会勉強になりました。 まず始めに悩んだのは場所の問題です。ちびくろの時は学生の部屋を無料で借りられました。その部屋は広くて窓が多く、外にも遊べる場所が十分にありました。しかし、他で子供を集めやすく十分な広さがあり低料金の所となると、なかなか見つけるのが大変でした。 次に悩んだのは宣伝の方法です。ちびくろのように長年やってると口コミで人が集まってきますが、今回やった場所は小平市からは遠くちびくろの事や、私達が今まで子供の造形活動に関わってきたことを知る人は皆無と言えます。ですから、口コミでという可能性はゼロです。そこで私達がとった宣伝方法は、まず私が勤める学童クラブに通う子供60人にプリント配付し、団地のポストにもビラを入れました。次にポスターを団地、スーパー銀行の掲示板に貼らせていただきました。これらの結果、学童クラブの子供が、9人と区報を見た子が4人集まりました。区報の方は問い合わせ先の電話番号が間違って掲載されてしまうというトラブルがあり、これが正しかったならばもう少し集まっていたかもしれません。 当日は活動の進行や対応の仕方等で、ちびくろでの経験が活かされていたと思います。ただ残念だったのは、私達の間で事前の打ち合わせが十分にできなかったことです。大学を卒業後引っ越しをして家が遠くなったり、それぞれの仕事があったりでなかなかみんなで集まる機会を作る事ができませんでした。そのため当日の進行がぎくしゃくしてしまった場面もありました。(指揮をとる立場である私が不安をたくさん抱えてしまっていてしっかり出来なかったのもいけないのですが。) ワークショップを終えて、参加者全員が楽しかったと言って笑顔で帰っていったことが、私の何よりの励みになりました。後日保護者の方から「来年も(タイトルに夏休みとついているので夏にしかやらないと思っていると思われる)ぜひおねがいします」との声も聞かれ嬉しく思っています。いろいろと反省する点はあるけれど、とても楽しかったし勉強になり、これをやって本当によかったと思っています。そして一緒にやってくれたみんなに心から感謝しています。 ちびくろがやっていることはとても素晴らしいことだと思います。子供達も学生もとても楽しそうにしているし、これだけ長い間続いているのがその何よりもの証拠です。その素晴らしさ楽しさをたくさんの人に感じてもらいたい。しかしちびくろは一つしかないので、様々な所に住んでいる多くの子供達にその楽しさをあげる事はできません。だからちびくろを卒業しそういうことをまだやりたいと思う人が、他の場所へ広がっていきそこの人々に楽しさや喜びをあげたいし、実際にそうなっているのがステキだと思います。 |
「光のタワー」の感想 村越綾子(うり坊) ちびくろではない環境のなかでちびくろのメンバーと活動するのは初めてだったが(「さいたま新都心」のときはちび以外の人達との連携だったし。)活動中の進行はみぞれ中心にまとまっていたので、混乱することはなかった。だが参加した子ども達はちびくろのことを全く知らないし、しかも普段は学童に参加しているが大半だったので、学童に遊びに来た感覚で参加しているように感じ、その気持ちが我々とずれていたと思う。実際活動が始まって気分が乗ってきたらずれは感じなくなったが、始めのうちはタワーを作ることよりも大人に甘えてばかりいる子もいて、何をするために来たのか把握できていないようだった。ちびくろにもそういう子がいないわけではないが、何度も参加していくうちに「ちびくろが何をやろうとしているか」をわかってくるのだと思う。けれど今回のように単発で活動すると「何をやろうとしているか」をわかりかけた頃に終わってしまう気がする。 具体的に「何をやろうとしているか」とは何かといえば、私の個人的な考え方だが「モノを作る楽しさ、どんなモノを作るか考える楽しさ」「作り上げた時の達成感」を知り、納得いかなかった部分も含めて次へつなげていくことだと思う。「楽しかった」で終わりにするのではなくて「こういうところが楽しかった、こういうところがうまくいかなかった」と考えることで、どんなモノを作りたいのかイマジネーションが広がる。何だか堅い表現になってしまったが、こういう気持ちがあるからちびくろの子ども達は活動に参加していると思うのだ。だが単発の場合は次へつなげる機会が少ないだろう。活動中に考えたことも時間が経てば薄れてしまうのではないか。 一回の経験でもずっと覚えていることはある。今回の活動をきっかけしてにモノを作ることに興味を持ってくれればうれしいし、それを学校の美術の時間でも友達と遊んでいる時でもちょっと思い出してくれたらいいと思う。ただ、定期的に活動していれば考え方も変化し積み重なっていくが、単発だとそうはいかない。今回参加した子でもう一度タワーを作りたいと言った子がいて、そういう子の希望を叶えようと思えばやはり継続してやっていくことも考えなければならないと思う。私自身も子ども達のことをもっと知りたいのだが、やはり現実的には難しい。社会人がちびくろのような団体を立ち上げるとすればメンバーそれぞれの生活習慣、住んでいる場所もある程度近くないと無理だろう。資金面、活動場所の確保の問題もある。今回活動した場所は8時間で確か¥7300だったが、金額がはっきりしていると時間の融通はなかなかきかないものだし、これ以外でも材料費がかかる。有志で続けるにはかなり根気がいると思う。 とはいえ、新鮮だったことも多い。何しろ子ども達が素直だったことが印象的だった。ちびくろでは慣れてしまって緊張感のない子も多いが、それぞれやりたいことに集中していたし、脱線した子も脱線した方向で熱中していた。完成したタワーを父兄に発表したのもよかった。ちびくろでも分校のお祭りや芸祭以外で父兄が参加する機会をつくったらどうだろうか。 と、私なりに考えたことをまとめましたが随分かちかちな文章になってしまいました。ここまで書いてきて一番思ったのは、ちびくろのメンバーでちびくろではない所で活動する場合、重要なのはちびくろとして活動するのか、というとこだと思います。子どもと普通に接しているぶんにはあまり考えないのですが、叱る時などちびくろでしているようにしていいものか迷いました。まあ、悪いことは悪いと言わなきゃいけないんですけどね。言い方もいろいろあるし、学童に入っている子が多かったのでそこでの落差が激しかったら子どもも戸惑うかなと思ったし。(でもみぞれ見てたら取り越し苦労って気もしてきた。)だから、どういう意識でいくのか、メンバーの気持ちが一致している必要があると思うのです。子ども達は一対一で接していると、ちびくろでもそうでなくても何も違わないのだから、大人のほうに迷いがないようにすることが大事ではないでしょうか。 |