分校はどんなとこ?

1970年頃に村上暁郎氏(現在武蔵野美術大学教授/美術教育)のアトリエが岩間町にできたことから、武蔵野美術大学の学生が中心となり、この町で子どもたちのための造形教育活動を行うようになりました。参加する子どもたちの人数が増えたことで、やがて、岩間第一分校を会場として使うようになりました。

1983年に分校が廃校になったあと、当初取り壊されることになりましたが、地元青年会や、当時分校にかかわっていた人々の働きで何とか残ることになり、武蔵野美術大学の彫刻科を卒業した坂本浩人氏が管理人として住むことになりました。その後、管理人は何回か変わりながら今は6人目となりました。その間、教育活動だけでなく、ワークショップやシンポジウムなどさまざまな形で使われてきました。地元の人たちも、ダンス教室の会場やクロッケー場として使っています。現在も、主に武蔵野美術大学の学生や卒業生を中心として、いろいろな活動を行っています。

大部屋

■さまざまな活動

■分校の歴史

■このホームページについて[制作中]


分校の今
 学校として使われていた施設や面影がのこりつつ、もとは給食室だったところを台所として使い、水道、ガス、電気もあるが「図工教室」などの大人数の生活では薪(まき)で御飯を炊き、お風呂を炊く。暖房も薪ストーブ、花壇は野菜やハーブなどを栽培。自給自足というわけではないが、シンプルな生活が工夫されている。
岩間第一分校は町からの補助、地元の方々の協力や理解、管理人の日々絶えまざる努力(?)によって、さまざまな活動や交流の場として今日も成り立っている。

分校基金(仮称)
分校を維持運営するために必要な資金の募金です。遣い道などは後日取り決めたいと思います。

常陽銀行 本店営業部
普通 2353980
ヤマモト タイジ

分校の歴史

1973 岩間町の村上暁郎氏(現在武蔵野美術大学教授)のアトリエで武蔵野美術大学生により造形教育の実践として絵画教室が行われる。

1974 岩間町駒場地区公民館に場所を移し、小学生対象に図工教室が始まる。

1975 図工教室参加者が400人を超える。岩間第一分校に場所を移す。以降、毎年分校で行うようになる。

1983 岩間第一小学校(本校)に合併され廃校となる。坂本浩人氏が初代管理人として、分校で暮らすことになる。石彫シンポジウム開催

1984 分校が閉鎖されることになるが、住民や学生の努力で再び存続することに。

1985 2代目管理人 若林和正

1989 3代目管理人 金田茂夫

1990 シンポジウム イン イワマ

1993 4代目管理人 南正彦

1994 第一回よさっぺ展

1995 第二回よさっぺ展 

1996 5代目管理人 谷本雄太

1997 BUNKO ART FES vol.1

1999 BUNKO ART FES vol.2

2000 6代目管理人 山本泰史

2006 現管理人